札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「生きた水」

更新日:2011.8.14

ヨハネによる福音書4章1-30節

牧師:米倉 美佐男

主イエスの伝道活動が評判になり、やがてファリサイ派の人たちが知った時、主イエスはユダヤを去ってガリラヤへ行かれました。ユダヤ当局との衝突を避けるためでありました。その時、ユダヤ人なら回避するサマリヤを主イエス一行は通られたのです。旅を急いだのでしょう。その時の話がここでの出来事でした。場所はサマリヤのシカルにある井戸、通称ヤコブの井戸(創世記48・22)です。イエスはそこで旅の疲れのために井戸端に座り込んでおられました。

食料調達のため弟子たちはおらず、旅の疲れでのどが渇いたので、主は水を汲みにきた女性に、水を飲ませて欲しいと頼みました。女性にとっては驚きでした。当時のユダヤ社会ではユダヤ教のラビが女性と話すことは恥ずべき事と思われており、おまけにユダヤとサマリヤとの対立関係があったので、女性は主にあなたがサマリヤの女の私に頼むとは何事か?と申しました。やり取りの中で主はこのように申されました。「今あなたが話している私はだれでしょう?もし知っていたならあなたに生きた水を与えたのに」。女はすぐにイエスに言いました。それを下さい。その生きた水を手に入れたい。それが手に入るのなら、毎日こんなに苦労して汲みにこなくてもすむのだから、と。

「生きた水」、それは永遠の命に至る水のことでした。生きた水とは神の言葉であり、信仰のことです。水は飲めばまた渇きます。けれども主が与えて下さる生きた水は永遠に渇く事がないのです。イエスは預言者であり、真のメシアキリストであるとの告白がここにあります。女性はイエスから何もかも顕わにされて、今初めて目の前にいるお方がメシアであるということに気づかされたのです。人は自分の隠しておきたいことを暴露された時、それを安心して委ねることができるお方と出会う時に変えられます。神を求め礼拝を献げる者になるのです。霊と真理をもって、礼拝を献げる者とされましょう。聖霊の働きによって。

(2011年8月14日礼拝説教より)

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