札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「罪の認識」

更新日:2014.5.19

マタイによる福音書22章34-40節(新P44)

牧師:米倉 美佐男

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」                              (36節)
今日は「母の日」礼拝です。今朝はハイデルベルグの信仰問答の第二聖日 問3〜問5からメッセージを語ります。
問三 何によって、あなたは、あなたのみじめなことを、みとめることができるのですか。
答えは神の律法によると言います。みじめさとは何でしょう。それは聖書が最初から問題にしている罪のことです。聖書の語る罪は神様との関係の破れです。そしてそれは律法によって知らされます。そこで律法とは何かを次の問で示します。

問四 神の律法は、われわれに、何を要求するのですか。
答えは二つ示されます。マタイによる福音書22章、『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なる「あなたの神を愛せよ』。第二もこれと同様である。『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。この二つのいましめに、律法の全体と預言者、即ち聖書の示すことが表されています。申命記6章5節とレビ記19章18節で、信仰者の間では良く知られた御言葉です。

問五 あなたは、これらの全部を、完全に守ることができますか。
聖書の言葉をよく知っていてもそれらをすべて完全に実行することができるでしょうか。答はできないと言います。なぜなら人間は、生まれつき神を愛せもせず、隣り人を愛することもできないからです。自己中心的で神に従いきれないのが人間の現実です。それが罪の問題です。言い代えるなら人間の傲慢の問題です。自分自身に問い直してみましょう。私を救って下さるお方はどなたであるのかを。私たちの信仰は主イエスこそが唯一の救い主であるという信仰です。キリストとの出会いがあって初めて私の罪から解放され、私たちはみじめさから脱却することができるのです。

(2014年5月11日礼拝説教より)

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