札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「十人のおとめ」

更新日:2018.6.4

マタイによる福音書 25章1-13節(新約49頁)

米倉 美佐男

「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」(13節)

十字架の時を意識して主イエスは何度も終末時のことをお語りになられます。その日その時はだれも知らず、ただ父なる神だけがご存知だと言われます。今朝の記事も天国のたとえで終末時を意識した話です。たとえの背景にはユダヤ人の結婚の出来事があります。花婿は花嫁を婚礼の場に迎えるために花嫁の所に来るのです。それを迎える花嫁とその友人たちがおりました。

それが十人のおとめです。たとえは、その十人のうち五人は愚かで五人は賢いと言われます。何をもって愚かであるか賢いかは、ともし火の補充の油の用意があるか否かでした。今流の言い方をすれば危機管理の力があったかどうか。つまり非常時における備えがあったか否かです。花婿の到着が遅れます。長時間待たされて、皆疲れて寝込んでしまいます。目をさましていなさいと言われていますが、寝た事自体はここではとがめられていません。真夜中に花婿が到着します。皆起きてともし火を整えます。長時間待っていたため油が切れそうになりました。

愚かなおとめたちは賢いおとめたちに油を分けてくれるようと頼みます。分けるだけの量はないので急いで油を買いに行きなさいと勧められそのようにします。その間に、賢いおとめたちは到着した花婿と一緒に宴会の席へ入り、戸が閉められます。愚かなおとめたちが油を買い終え到着し、閉まった戸を開けてくれるように主人に懇願しますが時すでに遅し、主人は、「はっきり言っておく、わたしはお前たちを知らない」と拒絶します。聖書は警告します。終末の時は必ず来るから、いつ来てもいいように必要な備えをすべきことを。天国に入れる者は五分五分なのです。緊張して、目を覚ましてマラナ・タと祈り続けましょう。

(2018年5月27日主日礼拝説教より)

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