札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「罪のゆるしを得る」

更新日:2015.2.9

ガラテヤの信徒への手紙3章27節(新P346)

牧師:米倉 美佐男

「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」 (26節)
ハイデルベルク信仰問答  第二六聖日 問六九〜問七一
問六九 聖なる洗礼において、どのようにして、十字架におけるイエス・キリストの唯一の犠牲が、あなたに対して効力のあることを、思いおこさせ、また確信させられるのですか。
答 こうであります。キリストが、外面的な水の洗いを定め、これによって、わたしの魂の不潔、すなわち、わたしのすべての罪を、主の血と霊とによって、確実に洗われるということを、約束して下さったのであります。それは、丁度、わたしが普通、身の汚れをおとす水で、外面的に身を洗うほどたしかなことです。
問七0 キリストの血と霊とをもって洗われるとは、どういうことですか。
答 それは、キリストが十字架の上のその犠牲において、お流しになった血のゆえに、神により、その恵みのゆえに、罪のゆるしを得る、ということであります。さらに、聖霊によって、新しくせられ、聖別されてキリストのえだとなり、時とともに、一そう罪に死に、神に祝福せられた、罰せられることのない生涯を歩むようになることであります。
問七一 われわれが、洗礼の水をもってする場合と同じように、たしかに、主の血と霊とをもって、洗われるということを、キリストは、どこで、約束されましたか。
答 洗礼の設定の時であります。「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施せ」、「信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる」といわれています。 この約束は、聖書が、洗礼を再生の洗い、罪の洗い、といっている場合にも、繰り返されているのであります。

今週と次週は洗礼について記します。洗礼は主の十字架と同じく罪の赦しと救いの為のただ1度限りのものです。
洗礼を受け、罪を主の十字架の御血潮で洗い流していただくのです。十字架こそが神の恵みによって私たちの罪を清めるのです。主は弟子たちに命じます。
「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施しなさい。」と。

(2015年2月1日礼拝説教より)

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