札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「施しをするときには」

更新日:2016.6.6

マタイによる福音書6章1-4節(新P9)

牧師:米倉 美佐男

「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」(3節)

「あなたがたの義が律法学者やファリサイ人の義にまさっていなければ、天国に入ることはできない。」と主イエスは教えられました。さらに義を行うための新しい教えを語られます。「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。」(1節)そうでないと、天の父のもとで報いをいただけないことになると言われます。

具体的に三つの例を用います。一つは施し(2-4節)、二つ目は祈り(5-15節)、三つ目は断食(16-18節)です。いずれも信仰生活の大切な事です。施しは隣人との間、対人間関係の中でのこと、祈りは対神との関係です。断食は自分自身との対自的なことです。今朝はその第一の「施し」を取り上げます。「施し」のもともとの意味は「あわれみ」です。「慈しみ」、「愛」、「義」でもあります。この事はイエスを信じる者の義から語られたものです。

注意すべきは施しをする者の優越感です。それが受ける側の劣等感を引き出します。主イエスはここで、する側の陥りやすい点をするどく指摘されます。人にほめられようと会堂や街角でラッパを吹き鳴らしてはならない。人に見せようとして行う愚かさを注意されるのです。施しは人目につかないよう、相手に知られないようにと言われます。人にああしてあげた、こうしてあげた、は右の手のしたことを左の手に知らせることなのです。「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」のだから私たちはすべきことをすればいいのです。「むくいをのぞまで ひとにあたえよ」が大事なのです。何よりも私たちは父なる神から御子を与えられ、主の十字架という何にも代え難い施しを受けているのですから。

(2016年5月29日主日礼拝説教より)

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