札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「見える恵みの背後に」

更新日:2011.10.16

ローマの信徒への手紙8章26-30節

牧師:榮 英彦

今日は「統合礼拝」として御前に立つように定められています。それで特別に、自分の一番幼かった時の思い出は何かを省みてみましょう。それぞれが違うものに思い当たるはずです。私の母は迫り来る最後の時を前に「此の頃自分の幼かった頃のことを思い出す」と口にしていました。今、自分にとって最初の思い出は何でしょうか。この確かめは、老若男女を問わず出来ることでしょう。

教会での出会いを契機として結ばれた我が家には、教会との連絡が途絶えてからも、牧師さんからは何かにつけて「聖書」が送られてきていました。その聖書の扉には、「聖句」が書かれていました。「エホバはわが牧者なり」「神は愛なり」などなど、こうしたことから、自分が自覚する前から、神の導きがあったことを思います。それは、神学校への道、最初の赴任地(奄美大島)での働き、そして麻生教会での奉仕等の底に「見えない神の働きがあった」ことを証しするものにほかなりません。

ここに一つの言葉が示されます。26節に記される「霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」との言葉です。何でも表現しなければならないとの錯覚に捉われていることはないでしょうか。私達が言い表せないことを「共に苦しみ悩みながら」働いていてくださる“霊”があるとの指摘があります。

あまりにも不思議な人生の営みに置かれていますが、然し、私たちの思いを越えて、底の底から支え見守っていて下さる方がいるとの証言なのです。自分では何とも言い表せない心の内を知り、支えていて下さる方がいらっしゃるのです。

他人には理解できない独自の人生を歩む私達です。その歩みを知り、底から支えていて下さる「霊」の働きがあるとの言葉を受け止める者でありましょう。

(2011年10月16日礼拝説教より)

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