札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「年をとっても新たに生まれ(ヨハネ7)」

更新日:2021.12.3

ヨハネによる福音書3章1-15節(新167頁)

小林克哉 牧師

自分はよく分かっていると思っていた人がいました。人々からも尊敬されていました。年をとっていました。その名はニコデモ。ユダヤ教の中でも最も厳格なファリサイ派に属していました。国会と最高裁判所を兼ねているようなユダヤ最高議会サンヘドリンの議員でした。ニコデモは夜にイエスさまのもとを訪ねました。「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』」(3節)
長年キリスト者として歩んでいると、いつの間にか神のこと、信仰のこと、救いのことを、自分は分かっているかのように考えてしまっていないでしょうか。「新しく生まれる」とは、第一には信じていなかった者が信じる者へと変えられる洗礼の出来事について語っているでしょう。しかし洗礼を受ければ、その後は自動的機械的に進んで行くのでしょうか。分かったように思っている者が、新しくされることが起こるのです。神は一人一人をいつでも新しくしてくださることができます。そしえ神はわたしたちの教会をも絶えず新しくしてくだされるのです。
わたしが牧師として洗礼を授けた方の中で最高齢は99歳の方でした。キリスト者の家族ではありませんでしたし、病床洗礼でもありませんでした。教会員が勤めていた介護施設を利用していて、キリスト教の話になり、その教会員のお宅で毎月行っていた家庭集会に来られました。97才で聖書の言葉に出会い、次第に表情が柔らかに変わっていくのがわかりました。ある日、「先生、これからはイエスさまについて行くことに決めました」と言われたのです。教会の礼拝にも出席するようになり、99歳で洗礼を受け、104歳で召されるまでキリストに従い続けました。その方を思うと、年をとっているからという理由は関係ないとつくづく思わされます。神の力によるならば年をとっていても人は新しく生まれるのです。 
ただ神の自由な愛と恵みにより、十字架の贖いの御業によりわたしたちは神の子とされ神の国に入れられ、永遠の命を与えていただけるのです。神はあなたを新しくすることがおできになります。若くても、年をとっても新たに生まれることができるのです。

(2021年11月21日礼拝説教より)

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