札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「いと高き方の預言者」

更新日:2013.12.16

ルカによる福音書1章67-80節(新P102)

牧師:米倉 美佐男

「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。」(1章76節)
アドベントの第2週に入りました。「あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる。」(マラキ1・1)「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。」(黙示録22・20)厳かな思いを持ってアドヴェントの時を過ごしましょう。今朝の聖書箇所は祭司ザカリアの讃歌です。聖霊に満たされ彼は語ります。その内容は出エジプトの出来事と代々に渡って語り継がれてきたメシアによる民の救いでありました。

信仰の父であるアブラハム以来、主なる神が選ばれたイスラエルの民と交わした契約、メシアの到来に先立つ働きのために立てられた預言者となる我が子ヨハネ、そして暗闇にさすあけぼのの光となるメシアなる幼子の出現が高らかに歌われます。「暗闇と死の陰に座している者たち」は旧約聖書イザヤ書9章1 節の言葉です。イザヤ書はメシア預言として新約聖書に多く受け継がれ引用されています。それは預言がメシアの誕生を理解するためになくてはならないものであったからです。

「暗闇と死の陰に座している者たち」の直前に「ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けた。」とあり、背景として戦争がありました。イザヤの時代、BC734年、北王国イスラエルはアッシリアによって滅ぼされました。負けて捕虜となり民は力なくうなだれるしかありませんでした。落胆と不安、混迷の状態に追い込まれてしまいます。しかし、預言者は主の御言を語り、神のみ手は依然として短くはない、と語ります。ありとあらゆる挫折から、夢も希望も見い出せない呻きの中でも神からの慰めのメッセージを聴くのです。そして今、神の民の歴史から、何を見てどこに向かって歩んで行くのかを定かにしなくてはなりません。いと高き方を、真の光である主イエスを証するのです。

(2013年12月8日礼拝説教より)

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