札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「ただひとりの父である神がいる(ヨハネ26)」

更新日:2022.5.26

ヨハネによる福音書第8章39-59節 (新182頁)

小林克哉 牧師

自分のルーツがどこにあるのか。「わたし」という存在、「わたしたち」はどこからきたのか。ユダヤ人たちはイエスさまに答えました。「わたしたちのちちはアブラハムです」(39節)。更に「わたしたちはただひとりの父がいます。それは神です」(41節)と。
ところがユダヤ人たちは自分たちがアブラハムの子孫であるという自負、モーセの律法を守っているという誇りが邪魔し、イエスさまの言葉を素直に聞くことができず、信じなかったのです。
わたしたちのように歴史がある教会も気をつけばなりません。札幌教会はこうだった、こうだと言っても神の言葉に耳を傾けなければ大変なことです。私たちの教会の礼拝堂は文化財にもなっていますが、礼拝堂のために教会があるのではないでしょう。礼拝と伝道もしていないなら、この礼拝堂を建て、神に献げた信仰の先達たちは悲しむでしょう。逆に礼拝堂がなくなっても、わたしたちの群れがいよいよ熱気にあふれて礼拝し、この町で力強く伝道師、生き生きとした群れとして歩んでいるなら、信仰の先達たちは喜ぶでしょう。
独り子なる神イエスさまの言葉を聞くことができないユダヤ人の姿は、アブラハムやモーセが悲しむものになっていました。アブラハムもモーセも、神の言葉を聞いて信じ、神の言葉に従った人たちです。アブラハムは神の言葉を聞いて信じ、約束の地へと向かって旅をしたのでした。その約束の地に入られる神の救いが、今イエス・キリストによって実現するのです。「あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのある。」(56節)
イエスさまがわたしたちの身代わりとなって贖いの死を十字架で遂げて下さったのです。このことにより、実現した救いがある。どうしてイエスさまに感謝せずにいられるのでしょうか。イエスさまの十字架の愛をしり、どうしてイエスさまを愛さずにいられるでしょうか。「神があなたたちの父であれば、あなたたちはわたしを愛するはずである。なぜなら、わたしは神のもとから来て、ここにいるからだ。」とイエスさまは言われます。(42節)
アーメン

(2022年5月15日礼拝説教より)

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