札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「恐れることはない」

更新日:2011.11.6

ヨハネによる福音書6章16-21節

牧師:米倉 美佐男

「夕方になったので、弟子たちは湖畔に降りて行った。そして舟に乗り、湖の向こう岸のカファルナウムに行こうとした。」(1節)
その湖、ガリラヤ湖は、幅が11キロ、長さ20キロほどの竪琴の形をした湖です。弟子たちはイエス様とは別々の行動で向こう岸のカファルナウムに舟で向かいました。時は夕方、当たりは既に暗くなっていました。強い風が吹いて湖は荒れ始め、弟子たちが漕ぎ出して4、5キロ進んだ時、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られ、その主を見て弟子たちは恐れたのです。

この記事で着目したいことが二つあります。一つは「恐れ」です。二つ目は「わただ」です。イエス様が湖の上を歩いて来るのを見て弟子たちは恐れました。そして、イエスは弟子たちに「恐れることはない」と申されたのです。信仰の問題は人間の恐れの問題です。ここでの恐れはどのような恐れでしょう。一晩かかっても進めない大嵐にあった恐怖か、あるいはイエスを幽霊と思っていだいた恐れか。弟子たちは恐れたのです。それに対してはイエスはただ一言「恐れる事はない」と言われたのです。

「わたしだ」は(エゴー エイミー)というギリシャ語です。それは私がヤーウェだ、私は神だと言う主の神宣言の言葉、特別な意味を持った言葉です。きょうの出来事はこの言葉にすべてが言いつくされています。「わたしはあって在る者」、ヤーウェです。当時の人々はこの話を聞いた時、すぐにイエスがわたしはヤーウェだと言う告知をしたのだと気付いたでしょう。それを素直に受け入れたかどうかは別にして。主(キュリオス)は初代のクリスチャンのヤーウェ告白でありました。弟子たちは主イエスのヤーウェ宣言を聞くことによって主をお迎えする姿勢を持つ事が出来たのです。彼らは主の宣言によってただ恐れていた自分から解放されて恐れを克服し主に従う者とされました。その時舟は目指す地に着いたのです。主が共におられます。

(2011年11月6日礼拝説教より)

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