札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「信仰・希望・愛」

更新日:2021.2.12

コリントの信徒への手紙一13章1-13節 (新317頁)

米倉 美佐男 牧師

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(13節)

この箇所は愛の讃歌と呼ばれ、結婚式でもよく読まれるので、聖書の中でも親しまれているところです。イエス・キリストの体である教会を建てるためにその中心に据えるものとしてパウロが示すのは「愛」(アガペー)です。与えられた賜物の中で異言を語ることが特権のように思われていたようですが、パウロは最高の道を教えると言って「たとえ人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。」(1節)と言います。

同じく、預言や、知識、信仰を持っていても愛がなければ無に等しい(無だ)と言い切っています。それだけではありません、たとえ全財産を貧しい人に施しても、この身を献げても誇ろうとしてするならば何の益にもならないと。おそらくパウロは自分がこうしてきたということをベースに語っているのです。自分のプライドとか自分のためでなく、キリストのあの十字架の愛があなたがたに必要だということを全身全霊をかけて証しているのです。

聖書の愛、アガペーはキリストの愛、十字架の愛、神の愛です。愛の性格は忍耐強い、情け深い、ねたまない、自慢しない、高ぶらない、礼を失しない、利益を求めない、いらだたない、恨まない、不義を喜ばない、真実を喜び、忍び、すべてを信じ、望み、耐えるです。まさに主イエス・キリストの生きざまが愛そのものなのです。それに対し私たちにはその愛は全くない、そこに気づかされる時、だからこそ主の愛に生かされる必要があることを知るのです。キリストの愛は抽象的でなく具体的、実際的です。「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ローマ5章8節)。キリストの体に属する者として神から出た愛によって互いに愛し合う群れとなりましょう。愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。悔い改めの心を持って主に仕えるために。

(2021年2月7日(日)礼拝説教より)

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