札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「兄弟への愛のわざ」

更新日:2018.6.18

マタイによる福音書25章31-46節(新約P50)

牧師 米倉 美佐男

主イエスは言われます。「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。」(31節)栄光の座につかれ、主はすべての国の民をみ前に集め、羊飼いが羊と山羊を分けるように、左右二つに人々をより分けられます。羊を右に、山羊を左に分けられます。王は右側の人たちを祝福し、み国を受け継ぎなさいと命じます。救いに入れて下さるのです。

救いに入れてくださる理由は、あなたがたがわたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだと。正しい人たちが王に言います。いつわたしたちがそのようなことをしたでしょうかと。王が答えて、「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(40節)

左に分けられた人たちにも王は言います。呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意した永遠の火に行きなさい。右に分けられた人たちとは全く真逆なことが告げられます。譬が言おうとしていることは何でしょうか。それは信仰は観念ではなく、最も大事なことは実践することです。いと小さき兄弟にした愛のわざが大事です。上辺だけの口先だけの信仰に留まらずに愛のわざの証拠としてこれらの事実があったのです。愛のわざは、与えられたタラントン(賜物)を活かし、自然になし得る無意識的なキリストへの奉仕です。それは真の礼拝であり、何よりも主が一番求めておられることです。これみよがしに、していることを誇るのではなく、主が愛してくださったように互いに愛し合うのです。主の十字架を仰ぎ見ながらキリストと隣人に仕える者とされるのです。

(2018年6月10日主日礼拝説教より)

前のページに戻る