札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主の愛のもとに生きる証」

更新日:2021.5.14

マタイによる福音書第6章1~15節(新9頁)

麻生教会 上森俊明牧師

主イエスは、「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない」と、厳しく戒めています。祈りは、信仰者が敬虔であることを測るものさしではなく、主イエス・キリストによって、わたしたちに与えられている恵みです。偽善者たちのように自分が敬虔であることを示すために会堂や大通りの角に立って祈るのではなく、「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。」と、祈りの姿勢を教えてくださいます。

わたしたちと共に生き、わたしたちを導いてくださっている神さまは、わたしたちが求めない先から、わたしたちに必要なもの知っておられます。わたしたちにとっては不確かな未来をしっかりと見据えて、今、必要なものを与えてくださるのです。このような神さまが共に生きてくださっていることを知ったとき、わたしたちの祈りに、神さまをほめたたえる言葉が溢れてくるのです。
わたしたちは、主イエス・キリストの名によって祈りつつ生活をしています。その時々においては、肉体を持つ限界によって讃美の言葉にまで至らないこともあるかもしれません。けれども、どんなときでも神さまは、わたしたちの祈りを聞いてくださいます。わたしたちの悲しみも、怒りも、喜びも、すべてが、主イエス・キリストによって示された神さまの愛を豊かに表すものへと変えてくださるのです。辛く悲しい祈りが、主イエス・キリストによって慰められます。どうしようもない怒りは、主イエス・キリストによって静められます。そして、喜びは、主イエス・キリストにあって輝き、すべては、神のみ名をほめたたえる言葉となるのです。
主イエスが教えてくださった「主の祈り」によって、わたしたちの祈りは、頌栄に始まり、頌栄へと導かれます。わたしたちは、この「主の祈り」に湛えられている恵みの内に生かされ、神さまの祝福を受けて、福音宣教に仕えるのです。

(2021年5月9日礼拝説教より)

前のページに戻る