札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「自分の体で神の栄光を現せ」

更新日:2020.8.28

コリントの信徒への手紙一 6章12‐20節(新306頁)

米倉 美佐男 牧師

「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」(19節)。

12節には自由の問題、特にキリスト者の自由が語られています。自由の問題を考える時、自由を求めて必死になる私たちですが、自由をはき違えることによってかえって不自由になることがあります。本当の自由とは何かを理解することはそう容易なことではありません。自由を求めなが
らも不自由になっている存在、それが私たちなのです。パウロが問題にしているのは、コリントの教会の中に不品行なことでも自由だと主張する人たちがいたことです。

パウロはキリストを信じる者の自由について述べます。「自由を得させるために、キリストはわたしたちの身を自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」(ガラテヤ5章1節)。彼がこう言うのは明らかに前提として教会
内にあるみだらな生活、偶像崇拝、不道徳な状況を意識してなのです。わたしたちの属している教会とは何か、キリスト者としての在り方は何かを強く意識して、私たちの体は主のため、主は私たちのためにあるのだと言っています。

彼が繰り返し問題にするのはキリストの体である教会の根底にあるのは、キリストの復活です。それによって命を与えられているという事実を見失わないこと、ここに私たちが生きる、生かされる真の意味があるのです。18節からは、この世の人たちに証とならないようなあり方、生き方を避けてキリストの聖名を汚さないようなあり方を求めなさい。代価を払って主は私たちをキリスト者としてくださったのです。私たちは神の神殿です。「だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(20節)。

(2020年8月23日礼拝説教より)

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