札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「荒れ野で叫ぶ声」

更新日:2016.12.12

ヨハネによる福音書1章19-28節(新P163)

牧師 米倉 美佐男

「わたしはメシアではない。」(20節)

2本目の蝋燭に火が灯り、アドベントの第2週に入りました。クリスマスを迎える備えをいたしましょう。先週バプテスマのヨハネのことをお話しいたしました。ヨハネは主イエスの親戚で主より半年早く生まれています。彼は成人してからは荒れ野で預言をし、ヨルダン川で悔い改めのバプテスマを授けていました。そのいで立ちはらくだの毛衣を着て、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物とする、預言者のような生活をしていました。実際主から預言者エリヤとも言われています。

彼は光なるメシアについて証しをするために生かされました。彼はメシアではなく、メシアを証しする預言者です。彼が証ししたのは、すべての人がメシアを信じるために、イエスがキリストであることを証ししたのです。彼もまたメシアと呼ばれたのです。その時にヨハネは断固として言うのです。お前は誰だ?何者だ?エリヤか?預言者か?彼ははっきり言います。「わたしはメシアではない」と。

それではいったいだれなのか?あなたは自分を何だというのか?質問が3度なされ、全部否定されています。つまり、ヨハネは噂のようなメシアでもエリヤでも預言者でもない。では一体全体あなたは誰なのだ、とファリサイたちは問うのです。ヨハネは申します。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」それは預言者イザヤの言葉です。次に彼らが問題にするのは洗礼でした。何でファリサイが洗礼を問題にしたかというと、彼らは非常に権威主義的に何の資格であなたは洗礼を授けるのかと問うたのです。ヨハネは言います。本当のメシアがこれから来られる、私はその証し人に過ぎない。これがヨハネの証言です。今はアドベントの時です。メシアの到来を待つ時、クリスマスに向かう1週間1週間、1日1日備えをもって主み子イエスをお迎えいたしましょう。

(2016年12月4日主日礼拝説教より)

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