札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「私は喜びで満たされている(ヨハネ9)」

更新日:2021.12.13

ヨハネによる福音書3章22-36節(新P167)

小林克哉 牧師

アドヴェントクランツの二本目のろうそくに火が灯りました。典礼色に合わせ紫のろうそくをクランツに使う教会もあります。紫は悔い改めの色です。伝統的にクリスマスに備えるアドヴェントの期間は悔い改めの時です。クリスマスに洗礼を受ける者が、悔い改めをもって備えたことに関係するとも言われています。
悔い改めと言うと、犯した罪、過ちに気づき悔やみ懺悔することだと言えるでしょう。それはとても大切なことです。しかし聖書の悔い改め(メタノイア)という字は、第一には向きを変えるという意味です。来たりたもう神、救い主へと向きを変えるのです。ヨハネは「自分はメシアではない」と言いました。自分は人々を一人とて救うことはできない。しかし救い主が証しされるため、人々に示され、人々が向きを変えて来たるべき神、救い主に向かうための声にしていただいたと。
ヨハネは言います。「花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」(29-30節)
イエスさまの時代、婚礼において花婿の介添人は、花嫁を花婿のところに連れてくる役目でした。花婿と花嫁が一緒に並んだところで、介添人の役目は終わりです。集まった人々は花婿と花嫁の方に全身を向け祝福します。お役御免となった介添人は心から喜びます。ヨハネは人々が向きを変えイエスさまの方に向かった時、「わたしは喜びで満たされている」と告白したのです。
クリスマスに洗礼を受ける方があります。ある人が礼拝に通うようになっていくきっかけには誰かの存在があることが多いでしょう。キリスト者の家族、友人の存在、尊敬する人の存在があるかもしれません。そのような中、礼拝に通ううちにイエス・キリストを信じるようになっていく。来たるべき神、救い主の方に向きを変える。その人が教会に通うきっかけとなった者は喜びに満たされます。わたしたちは救い主でない。誰一人救うことなどできない。しかしわたしを通して救い主が証しされ、ひとりの人がイエス・キリストによって救われることを目撃し、神の栄光を讃える喜びを知っているのです。アーメン

(2021年12月5日礼拝説教より)

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