札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「もう泣かなくともよい」

更新日:2021.9.26

新約・ルカによる福音書7章11-17節(P115)

小林 克哉牧師

今朝の御言葉に愛する一人息子の死を経験し涙する女性が登場します。葬列が町の門を出ると、主がその死の行進を迎えられ、人間の誰も止めることができないと思っていたその行進を止めたのです。そしてそれを喜びの行進に変えてしまわれます。「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。」(13節)
聖書はありのままのわたしたちは神から遠く離れた存在であり、その罪がもたらす報酬が神の裁きとしての死であると教えます。その死の行進を止めることができるのはイエス・キリストだけです。「死人は起き上がってものを言い始めた。…人々は皆恐れを抱き、神を賛美して…『神はその民を心にかけてくださった』と言った。」(15-16節)
これは神の力ある御業であり、また憐れみと愛の御業です。人々は「神はその民を心にかけてくださった」と賛美しました。「訪れてくださった」「恵みをもって顧みてくださった」とも訳せます。神はその民との契約を忘れることなく御心にかけてくださり訪ねてくださったことが、イエス・キリストによりはっきりと示されたのです。
来たるべき神の国について、ヨハネの黙示録第21章は次のように語ります。「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」(3-4節)もう涙はないのです。その日、主はわたしたちに言ってくださるのです。「もう泣かなくともよい。」
今悲しんでいる人、涙を流している人、主はその日、あなたの涙をぬぐってくださいます。もう泣かなくてもよい日が来るのです。イエス・キリストの十字架と復活により罪のゆえに神から遠く離れていたわたしたちが、罪ゆるされ死から救われ、神と共にある神の子とされるからです。神の国には死も悲しみも嘆きもありません。その恵みの出来事が今この礼拝ですでに始まっているのです。

(2021年9月19日礼拝説教より)

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