札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「生きるも死ぬるも主のため」

更新日:2020.5.7

ローマの信徒への手紙14章1-12節 (新約293頁)

米倉 美佐男牧師

「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」(8節)

「信仰の弱い人を受け入れなさい」(1節)、その考えを批判してはならない、パウロは語り出します。何を言い出すかと思えば、パウロの論点は食べ物の問題や日の理解の仕方で互いに裁いたり、軽蔑したりしてはならないと言うのです。言われているのはローマの教会の人たちです。おそらく教会内に由々しき問題があったのです。進歩派と保守派の対立、というより異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者との間に何か互いに譲れない問題があったのです。

何を食べてもよいと思っている人もいれば、野菜だけを食べている人たちがおり、その人たちを弱いと言っているのはおそらく彼らが少数派だったからでしょう。食物規定は旧約聖書のレビ記にも記されていますからユダヤ教の背景が考えられます。菜食主義の人たちもその辺りから出たのかもしれません、日に関する理解もおそらく安息日や信仰的背景があったのです。ただパウロはそれらを信仰的本質とは考えていませんでした。

パウロが問題にするのは、互いに相手を軽蔑し、教会内に対立を持ち込むことが好ましくないことを指摘します。生活習慣の違い、文化的背景の違いから生じる価値観の相違はあっても仕方がない、けれども各自生活の違いを越えて主イエスに出会い、同じ主を救い主として信じる者とされたのだから、その事実に今一度目を留めて本質的な所で一致を目指すべきだと勧告するのです。パウロが解決策として掲げたのは、「主のために」でした。そして、神への「感謝」です。私たちは主イエスの十字架を思い、生きるも死ぬも主のために。なぜならわたしたちは主のものだからです。生も死も支配される主の身を信じて歩みましょう。

(2020年4月26日礼拝説教より)

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