札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「インマヌエル」

更新日:2017.12.11

マタイによる福音書1章18-24節(新約P1)

牧師 米倉 美佐男

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(23節)

本日からアドベント(待降節)に入りました。お読みした箇所にはイエスの誕生物語が語られています。その前には系図が記されています。アブラハムからキリストに至る長い歴史です。ユダヤ人たちにとってのメシアの到来の約束が実現したことの証です。用いられたのは母となるマリアと婚約者のヨセフでありました。まだ、結婚していない時に、マリアは身ごもった。それは聖霊の働きであったと聖書は記します。

片方では聖書(旧約)の預言の成就と言われ、同じ旧約の律法、申命記22・13-24では、結婚前に身ごもることなど到底認められない、場合によっては死罪です。それだから正しい人ヨセフはこのことが公になれば、マリアに危険が及ぶことを危惧して離縁しようとしたのです。けれどもヨセフは夢を見ました。夢の中で「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。」(20節)との天使の声を聞きます。

実に驚きの宣言であります。人間の目から見るなら到底あり得ない出来事をあり得ない仕方で受け入れろと言うのです。それが神のみ旨であるのだと。誰がそれを素直に分かりましたと言えるでしょうか。ヨセフは言ったのです。ヨセフが理不尽と思ったか、思わなかったかはここでは重要ではありません。ただ縁を切ろうと迷ったのは事実です。その彼が受け入れたことが大事なのです。まさに正しい人であったから。その正しさとは信仰でありました。信仰は正しく求めるなら、人間の思いを超えて必ず必要なものをお与えくださるのです。インマヌエルの主にゆだねて光の到来を腰を据えて待てばいいのです。感謝の心を持って。イザヤ7章14節のインマヌエル預言が示すのは、まさに「神は我々と共におられる」ということでした。

(2017年12月3日主日礼拝説教より)

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