札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「永遠の生命」

更新日:2014.11.17

ヨハネによる福音書17章3節(新P202)

牧師:米倉 美佐男

「永遠の命とは、唯一のまことの道であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(3節)
ハイデルベルク信仰問答  第二二聖日 問五七〜五八
問五七 からだの甦り、ということは、あなたに、どういう慰めを、与えてくれますか。
問五八 永遠の生命の項は、どんな慰めを、与えますか。

最初の答は、魂が、生命の終った後に、キリストのもとに受けとられ、肉も、キリストの力によって、甦り、再び、わたしの魂と一つにされ、キリストの栄光のからだに似せられる、と言います。次の答は、今すでに、心の中に、永遠の喜びの初めを受けているように、生命の終った後にも、神を、永遠に、讃美するようになることだと言います。

使徒信条は「聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず」と教会の存在についての信仰を告白した次に「罪の赦し」、「身体のよみがえり」、最後に「永遠の生命」を信ずで終わります。
身体のよみがえり、復活がどんな慰めであるかという問の答えは死についてす。死は復活の前提です。
キリスト教的意味の死は復活への備えであり、召しなのです。「自然の命のからだが蒔かれて、霊の体が復活するのです。」(1コリ15・44)。

「永遠の生命」の項は使徒信条の最後の信仰箇条です。復活と共に約束された希望の告白です。
この慰めは、今、私たちの心の中に、永遠の喜びの初めを受けていること、生命の終った後、即ち死の後にも、見た事も聞いた事も今まで誰も思った事もない完全な祝福を与えられ、心から神を讃美する、礼拝者として生かされると言うのです。
主は言われます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」(ヨハネ11・25−26)。主がマルタに問われた問は私たちにも同じく問われている問です。あなたはこれを信じるか、と。

(2014年11月9日礼拝説教より)

前のページに戻る