札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主はわたしの良い羊飼い」

更新日:2021.8.27

ヨハネによる福音書10章7~18節(新186頁)

小林克哉牧師

「わたしは良い羊飼いである」(11節)とイエスさまは言われます。イエスさまが羊飼いであるなら、わたしたちはその羊です。羊というのは群れをなし、ひとりでは生き延びることができません。しかも迷いやすく、群れから離れると命の危険にさらされます。狼が襲ってきても自力では抵抗できません。それでいて自分のことを強いと思っています。また毒草を見分けられず食べてしまうのです。羊には導いてくれる存在が必要です。
羊飼いは朝、囲いの門を開け、羊たちを連れ出します。牧草地や水辺を巡り、夕方再び囲いの中に入れられます。囲いには門が一つしかなく、夜の間、羊たちは囲いの中で過ごし、羊飼いが来るまで朝を待つのです。羊飼いが来る前、夜中にやって来るのは盗人です。「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。」(9節)聖書がはっきり示そうとするのは、イエスさま以外に門はないということです。安全な囲いの中に導き入れるのも、牧草地へ連れて行き食べさせ養うのも、このお方だけだということです。信仰とは、この方だというお方を知ることだと言えるでしょう。あれもこれもでない出会いです。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(11節)
羊飼いにとって羊の群れは愛する大切な群れです。雇い人は羊のためでなくお金のために働きます。狼が襲って来たら命をかけて守ることなどしません。羊飼いは大切な羊たちのために世話をします。愛しているからです。しかし命まで差し出すでしょうか。イエスさまのこの言葉に人々は驚いたでしょう。しかし羊飼いであるイエスさまは羊を救うために本当に命を捨てるのです。身代わりに十字架で死なれ、三日目にご復活し、今も生きておられる大牧者イエス・キリストは、わたしたちの群れを導き、この町に住む人々をも導き、一つの群れにしようとしておられます。牧者としてわたしもこの群れを愛し、また愛されたいと願います。大牧者に導かれ愛し愛されわたしたちは一つの群れとなっていくのです。

(2021年8月22日礼拝説教より)

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