札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「インマヌエルー神我らと共に―(降誕①)」

更新日:2025.12.22

マタイによる福音書 第1章18-25節

小林 克哉 牧師

「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。」(18-19節)
ヨセフはマリアから聖霊によって宿ったとの説明を受けていたのかもしれません。しかしその言葉を信じられたでしょうか。ヨセフはひそかに縁を切ろうとしました。「このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。』」(20節)
天使は「恐れるな」と言います。ここでの恐れとは、神を信じられなくなることから生じる恐れ、隣人(マリア)を信じられなくなることから生じる恐れです。それは孤独を伴うものでした。ヨセフはマリアを信じられず裏切られたと思い孤独だったのではないでしょうか。マリアもヨセフにわかってもらえず孤独だったのではないでしょうか。独り、そこに恐れがあるのです。
罪とは神なしに生きることです。神を信じず、そして神が共に生きるように与えた隣人を信じられず、神になしに、隣人なしに生きる。神は介入されます。神の御言葉が天使を通して与えられます。試練の中でヨセフは神の言葉を聞いたのです。
この先どうなるのか、どのような苦労が待っているか、どのような試練が待っているか分からないままでした。しかし一つのことははっきりしていました。インマヌエル、神は我々と共におられる。御言葉が与えられたからです。「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻マリアを迎え入れ」(24節)たのです。ヨセフは神の御言葉に従いました。神を信じ従ったのです。
「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」(23節)ヨセフはマリアに、マリアはヨセフにとってインマヌエルのしるしとなったでしょう。そしてそこに教会の姿が証しされてもいるのです。アーメン

(2025年12月14日礼拝説教より)

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