札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神の子どもたちであるなら(マタイ71)」

更新日:2025.10.27

マタイによる福音書 第17章22‐27節

小林 克哉 牧師

当時、ユダヤ人の成人男性は年一度2デナリオン(銀半シェケル)を神殿税として納めていました。ただユダヤ教の中でも違う主張の派もありました。「神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、『あなたたちの先生は神殿税を納めないのか』と言った。」(24節)イエスさまとその弟子たちはどのように考えているのかというのです。イエスさまはペトロに言われました。「地上の王が税を取り立てるのは、わが子からか、ほかの人たちからか。」(25節)神の御子イエスさまが神殿の税を納める必要はありません。献げられる側なのですから。
御子イエスさまだけではありません。イエスさまは、あなたたちもそうだと言われるのです。イエスさまの十字架により罪赦され神に受け入れられ、洗礼により神の子としていただいているからです。しかし、そのことに気づいていない人たちがつまずかないよう、神殿税を払えばよいと言われるのです。「子供たちは納めなくてもよいわけだ。しかし・・・・銀貨が見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」(26-27節)
キリスト者はイエス・キリストの十字架により罪と死から自由とされ、律法から自由とされた者です。こうしなければならないということから自由にされている者です。宗教改革者のルターは「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な主人であって、だれにも服しない。キリスト者はすべてのものに仕える僕であって、だれにでも服する。」(『キリスト者の自由』)と言いました。ここにキリスト者の自由があると教えてくれたのです。
キリスト者にとっては重要ではなくても、この世を生きる時、周りからしなければならないと求められることがあります。この世を生きるキリスト者の自由は、愛への自由です。イエスさまは言われます。「しかし彼らをつまずかせないようにしよう。」(27節)誰かが信仰につまずかないために生きる自由です。イエスさまは全く自由な愛のゆえに十字架へと向かってくださいました。そのイエスさまにわたしたちは今日も従うのです。アーメン

(2025年10月19日礼拝説教より)

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