札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「自分を低くし子どものように(マタイ72)」

更新日:2025.11.13

マタイによる福音書第18章1-5節

小林 克哉 牧師

弟子たちはイエスさまに「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」(1節)と尋ねてきました。天の国が到来したら、イエスさまの弟子たちの中で誰が一番偉いのか。人間同士が集まるとすぐに互いに比較し合って、誰が偉いのかと始まるものなのでしょうか。教会ではどうでしょうか。
先日、幼児祝福式合同礼拝のプレゼントをもらった子どもの動画が送られて来ました。「先生、ありがとうございます」と言っていました(言わされていた?)。「このようなプレゼントをいただく理由はないのですが、大変恐縮です」などとは言っていませんでした。ただ差し出されるものを感謝して受け取るのです。
子どもは親やおとなから食べ物やプレゼンを与えられると、「ありがとう!」と受け取るものでしょう。自分は受けるに値する者だろうかとか、お返ししなければなどとは考えないでしょう。イエスさまは「子どものようになりなさい」と言われます。神さまが与えてくださる救いと恵みを、ただ「はい」と言って受け取ればいいのです。
イエスさまは言われます。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国で一番偉いのだ。」(3-4節)
先日、自宅での洗礼式がありました。病気となり教会に通うことはできない。その中でイエスさまを救い主として信じて洗礼を希望されました。キリスト者となり自分に何ができるだろうかと気にされていたので、それは関係ないですよと伝えました。
天の国に入るのは、ただイエス・キリストの十字架の贖いによる以外にありません。律法を守るとか、功績を積むとか、自分は何ができるとかできないとか、そのようなことではないのです。偉いとか偉くないとか、天の国では関係ないのです。子どものように、神の国を受け入れる、ただイエス・キリストによって差し出される救いを感謝して受け入れる。そのようにしてわたしたちは天の国に神の子として入れられるのです。アーメン

(2025年11月2日礼拝説教より)

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