札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「柔和な王イエスが来られる(マタイ82)」

更新日:2026.3.2

マタイによる福音書第21章1-11節

小林 克哉 牧師

教会の暦でレント(受難節・四旬節)の季節を迎え、わたしたちは主イエス・キリストのみ苦しみと十字架の死を心に刻みながら過ごしています。伝統的には悔い改めの期間、自らの罪を思い悔い改め、それと共に、罪を赦し永遠の命を与えられるイエス・キリストの十字架、その贖いの御業と神の愛を心に刻んで過ごしましょう。
この箇所は、そのような罪あるわたしたちへと近づいて来られるイエス・キリストのお姿を証ししています。「弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。」(6-7節)子ろばに乗ってやって来られるメシア=救い主、柔和な王のお姿です。
イエスさまはご受難と十字架の死が待つエリコの町へと入城なさいましたが、そのお姿はイエスさまがイスラエルを解放する王、メシア=救い主でないかと期待していた人々にとって意外なものでした。剣を帯び軍馬に乗る勇ましくいかにも強そうな王ではなく、小さいろばの子に乗ってやって来られたからです。
ろばは、重い荷物を背負い運ぶ家畜ですが、忍耐と柔和のシンボルだと言えるでしょう。イエスさまがわたしたちの罪も裁きも死も、わたしたちが背負うすべての重荷を背負ってくださる救い主であることを証ししています。それは預言に示されている神のみ心が実現していることでした(4節)。
また柔和な王イエスさまのお姿は、戦士たちを従える王ではなく、元盲人、元漁師や徴税人を弟子として引き連れているメシア=救い主のお姿でした。軍馬ではなく、ろばを「お入り用なのです」と言われるイエスさまは、罪があり欠があり弱いわたしたちも「お入り用なのです」と言って用いてくださる柔和な王、メシア=救い主であられるのです。わたしたちも「ダビデの子にホサナ」(9節)と賛美し、主に従う者でありたいと願います。アーメン

(2026年2月22日礼拝説教より)

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