札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「主は仕えるために来られた(マタイ80)」

更新日:2026.2.16

マタイによる福音書第20章17‐28節

小林 克哉 牧師

イエスさまのところに、直弟子のヤコブとヨハネの母がやって来ました。イエスさまが王座に着かれるとき息子たちをその右と左の座に着く者にしてくださいと願ったのです。
ヤコブもヨハネもイエスさまに召されたときにはそのような思いはなかったでしょう。しかしイエスさまに従って歩むうちに偉くなりたいと考えるようになったのかもしれません。イエスさまに従うことさえも〝わたしのため〟になってしまう、わたしたち人間の罪があります。そのようなわたしたちを救うため、イエスさまは仕えるために来てくださったのです。
先日葬儀がありました。除雪、プログラム用意、礼拝堂の整え、奏楽や受付、お花の担当。皆神さまのため、教会のため、牧師のためにと仕えてくださいました。わたしはそのすべてを見ているわけではありませんから、わたしの気づかないところでたくさん仕えてくださった方があったでしょう。感謝です。それらなしには葬りの務めは果たすことはできなかったでしょう。
イエスさまは言われます。「人の子(イエスさまのこと)が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(28節)
イエスさまは仕えるために来てくださいました。イエスさまは、わたしたちが気づかず分からないところでも仕えてくださっておられるのです。何よりも十字架でわたしたちの身代わりとなって贖いの死を遂げてくださいました。その救いと恵みがどれほどのことであるか、わたしたちは気づいているでしょうか。
イエスさまはわたしたちのため、あなたのために仕えてくださいました。十字架の死において仕え、今も仕えていてくださり、わたしたちを救い生かし導かれるのです。イエスさまに仕えていただき、その恵みの内にわたしたちもイエスさまに仕え隣人に仕えていくのです。アーメン

(2026年2月8日礼拝説教より)

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