札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「戸惑うほどの神の気前よさ(マタイ79)」

更新日:2026.2.9

マタイによる福音書第20章1-16節

小林 克哉 牧師

イエスさまは天の国のたとえを話されました。主人が朝早く広場に行き、その日ぶどう園で働く労働者を雇った。この人たちは喜び感謝一杯だったでしょう。この主人は更に9時、12時、15時にも行って雇った。最後17時にも行くと立ちすくんでいる人がいた。「あなたたちもぶどう園に行きなさい」(7節)。同じようにされたのです。
イエスさまのたとえは続きます。ぶどう園の主人は仕事を終えた労働者に、後から来た者から順に賃金を払った。朝早く雇われ12時間働いた人も、最後に声をかけられ1時間だけ働いた人も同じ1デナリオンを与えられた。朝早く雇われた人は、喜びと感謝を忘れてしまう。主人の厚意に心向けるのでなく、他の労働者と比べ、心が不平不満で一杯になったのです。「最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。・・・・この連中と同じ扱いにするとは。」(12節)
主人は恩を忘れ不平を言うこの人たちに親しく「友よ」と呼びかけ言われます。「友よ・・・・わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。・・・・それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」(13-15節)
イエスさまはこれが天の国であると教えられました。わたしたちは、一人一人の働きの大小を比較し、それによって報いが変わると考えます。神さまではなく自分や人のことを見るとき、わたしたちは恵みから離れてしまうのです。神さまは、神さまが招く者すべてに同じ愛と罪の赦し、永遠の命を与えてくださるのです。神さまの常識を超えたこの気前のよさ、この一方的な愛とその全く自由な選びによって救いが与えられるのです。
教会は神の国を証しする群れです。あの人は昔からいるとか最近の人だとか、たくさん奉仕しているとかしていないとか、わたしたちは人に目が向くとき神の恵みから離れます。しかし気前のよい神に心高く上げ、みな神に愛され選ばれた神の子として、共に主にお仕えする群れとして歩んでいくのです。アーメン

(2026年2月1日礼拝説教より)

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