札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「七を七十倍までも赦しなさい(マタイ75)」

更新日:2025.12.15

マタイによる福音書 第18章21-35節

小林 克哉 牧師

聖書は〝赦し〟について語ります。過ち、違反、背き、裏切り、傷つけ、被害(加害)。わたしたちはそれらと無関係に生きることはできません。それは教会の交わりの中でも起こり得ます。「ペトロがイエスのところに来て言った。『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。』」(21節)
罪を犯し、悔い改め、罪の赦しを確認する。しかしまた同じことをくり返す。その兄弟姉妹を何度まで赦すのか。「イエスは言われた。『あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。』」(22節)
日本は仇討ち文化だと言われます。わたしたちはやられたらやりかえすところに正義を見、一種のカタルシスを覚えていないでしょうか。イエスさまは言われます。復讐は神にゆだね放棄してしまいなさい。どこまでも赦しなさい。それはイエスさまがどこまでも赦してくださるからです。そのために十字架へと向かわれたのです。
十字架による罪の赦しはどこまでもなのです。イエスさまは「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(第16章24節)と言われます。復讐をしたい自分を捨て、罪の赦しのために十字架で死なれたイエス・キリストに従いなさいと招かれるのです。
わたしたちは、罪を犯されたならその人に対して赦せない気持ちを抱き続けることがあるかもしれません。とかく教会の交わりにおいて赦せないこと、赦してもらえないことがあるならそれは悲しいことです。それはキリスト者として教会として不幸な姿でしょう。イエスさまはわたしたちが不幸のままでよいと思われないのです。何としてもわたしたちを赦せない罪と不幸から解き放たれたいのです。
赦せない気持ちを無理矢理変えることはできないかもしれません。しかし罪の赦しに向かって生きる心とされ、生きる一人一人、生きる群れへ変えていただくことはできるのです。主はわたしたちを招いておられます。「七の七十倍までも赦しなさい。」アーメン

(2025年12月7日礼拝説教より)

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