「主イエスの心と一つになる(マタイ74)」
更新日:2025.12.5
マタイによる福音書 第18章15‐20節
小林 克哉 牧師
心を一つにすることができたらどんなにいいでしょうか。しかしわたしたち一人一人は皆違います。人と人とが同じ思い、一つ心になることは不可能なのでしょうか。話し合えばいいのでしょうか。「わたしに合わせろ!」「いやわたしのほうに合わせろ!」と言い合い、いつまでも一致に至らないのではないでしょうか。どこかで妥協しても、それは本当の意味で心を一つにすることとは違うのではないでしょうか。
聖書はただ一つの道を示します。わたしたちが、教会が心を一つにすることができるのは、イエスさまの心と一つになることにおいてのみなのです。イエスさまは「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(20節)と言われます。わたしたちが心を一つにすることができるのは、わたしたちのただ中にイエスさまがおられることに気が付かされるときです。イエスさまのお心、神の御心を知らされたときに、「アーメン」と言って一つになるのです。「イエスさまがそうおっしゃるなら、わたしたちもそうします」と言うとき、わたしたちは一つになることができるのです。
伝道開始147年を迎えました。147年前、この群れに集められていたキリスト者たちも一人一人違っていたでしょう。皆個性的であったかもしれません。しかしイエスさまのお心を知らされ、神の御心を知らされ、この町で心一つ祈りを合わせて伝道を開始したのでした。それがわたしたちの教会の姿であり原点なのです。
「また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(19-20節)イエス・キリストは今ここにおられます。イエスさまの心にわたしたちも心一つとされ祈りたいのです。アーメン
(2025年11月23日礼拝説教より)
