「あなたを生かすまなざし」
更新日:2025.11.4
ルカによる福音書 第19章1-19節
東京神学大学学長 神代 真砂実 牧師
今朝の御言葉は「見る」ということの魅力に取り憑かれている一人の男について伝えています。わたしたちが「見る」とき、その人、その出来事と特別なつながりを持つことになります。ザアカイはイエス・キリストを必死に見ようとしました。「イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。」(3-4節)
ザアカイのほうからイエス・キリストを見ようとしていたのです。ところがその関係が180度変わります。「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』」(5節)日本語の翻訳では省略されていますが、8節でも「見る」という字が使われ、「見てください、主よ」と訳せるのです。イエス・キリストがザアカイを「見る」のです。
イエス・キリストのまなざしとザアカイのまなざしが交わります。ザアカイは見られることの喜びを経験するのです。ザアカイは徴税人の頭でした。神に背く罪人、同胞からローマ帝国の手下となって税金を集める者として、人々の視線はいつもザアカイに冷たく刺さりました。ザアカイは冷たく見られることで人々を冷たく見る者となり、見られることを喜ぶことができなくなっていたでしょう。
わたしたちもまた冷たいまなざしの中に生きていると言えるのではないでしょうか。人々からだけでなく自分で自分をそのように見ているかもしれません。聖書はその根本は、神から喜んで見てもらえなくなっている「罪」の問題だと教えています。神のまなざしの中に喜んで生きることが必要なのです。それは自分自身でできることではありません。しかしイエス・キリストはわたしたちが受けるべき冷たいまなざしを引き受け、罪を引き受けてくださったのです。十字架で身代わりに死なれ罪を赦しくださるお方のまなざしが、ザアカイを、そしてわたしたちを救い生かしてくれるのです。アーメン
(2025年10月26日礼拝説教より/文責小林牧師)
