札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「神の愛する御子、これに聞け(マタイ69)」

更新日:2025.10.14

マタイによる福音書 第17章1-13節

小林 克哉 牧師

イエスさま一行はフィリポ・カイサリア地方に来られました。そこで弟子を代表しペトロがイエスさまに「あなたはメシア、生ける神の子です」(第16章16節)と信仰告白をします。そのような弟子たちにイエスさまは受難を予告なさいます。「イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」(同21節)
そしてイエスさまは弟子たちに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(同24節)と言われたのでした。その六日後、弟子のペトロとヤコブ、ヨハネはイエスさまに従い山に登ったのです。そこで経験したのは、天の栄光の光に覆われ、聖なる神の圧倒的なご臨在に触れることでした。
ご受難を予告されたイエスさまのお姿は天における神の御子のお姿、ご復活のイエスのお姿をあらかじめ見せられるようなものでした。「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。」(2節)十字架は復活へと向かうのです。
そして弟子たちは聖なる神、御父の御声を聞いたのです。「ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け』という声が雲の中から聞こえた。」(5節)他をもう探さなくてよい。イエス・キリストに従い行く者に語りかけられるのです。「これに聞け」。
わたしたちも礼拝という山に登り、神の栄光を見、御声を聞き、そして山を下り、イエス・キリストに従う歩みを続けます。それぞれに自分の十字架を背負い従って行くのです。しかし十字架は復活へと向かいます。復活なしの十字架はありませんし、十字架なしの復活もないのです。その約束の中をわたしたちは行くのです。その道を歩む者に天からの声が聞こえます。「これに聞け」。イエス・キリストに聞けばよい。もう迷わなくてよいのです。
アーメン

(2025年10月5日礼拝説教より)

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