「まだ分からないのか(マタイ66)」
更新日:2025.9.1
マタイによる福音書 第16章1‐12節
小林 克哉 牧師
イエスさまは天からのしるしを求めるユダヤ人指導者たちに、「ヨナのしるしのほかにはしるしは与えられない」(4節)と言われました。指導者たちは、救い主と噂されるイエスさまをまるで試験するかのように、しるしを見せろと言ったのでした。目の前で病人のいやしを見せ、パンの奇跡を見せ、預言者エリヤのように天からの火を降らせるのを見せろと言うのです。
「ヨナのしるし」とイエスさまが言われるのは、ヨナが三日三晩大魚の腹の中にいたように、神の御子イエスさまが十字架で死なれ陰府に降り三日目にご復活することです。神さまが与えられるしるしは十字架のイエスさま以外にないのです。
イエスさまは弟子たちに「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい」(6節)と言われます。ファリサイ派は律法や言い伝えを守ることにより神に義と認められようとしていた人たちです。自分の力や熱心さを誇っていたのです。サドカイ派は祭司や貴族に影響を持ち、時の権力と結びつき、そのことを誇りとしていたのです。
弟子たちはパンを持って来るのを忘れていたので、イエスさまにパンのことを叱られたと思い互いに論じ合っていました。イエスさまは言われます。「まだ、分からないのか。覚えていないのか。パン五つを五千人に分けたとき、残りを幾籠に集めたか。」(9節)弟子たちは、イエスさまの十字架により与えられる天の国の祝宴を先取り命のパンを経験したばかりでした。
イエスさまは「まだ、分からないのか」(9節)と言われます。しるし、自分の力や熱心さ、権力に確かさを求める者にです。イエスさまは、神さまのことが分からなくなり、神の愛や救いが分からなくなる時、わたしたちの罪を赦し救うため十字架で死なれた神とその愛を見よと言うのです。くり返しくり返し分からなくなるわたしたちに、イエスさまは「まだ分からないのか」と何度でも何度でも、礼拝を通して語り続けてくださるのです。アーメン
(2025年8月24日礼拝説教より)