「復活の主イエスとお会いしたなら」
更新日:2025.4.28
ヨハネによる福音書第21章1-14節
小林 克哉 牧師
2025年のイースターを迎えました。主イエス・キリストはわたしたちの罪が赦されるため身代わりに十字架で死んでくださいました。そして三日目に死に勝利しご復活されたのです。
弟子たちはすでに少なくてもご復活のイエスさまと2度お会いし、罪の赦しを与えられ、伝道への派遣の命令を与えられていました。弟子たちは疑うトマスを受け入れ、主の日に(それは礼拝ということでしょう)、ご復活の主イエスが弟子たちのただ中に現れ、トマスを信仰告白へと導いてくださることを経験していました。
しかしペトロたちはガリラヤに戻り、弟子になる前のように漁に出たのでした。ペトロにとって漁師であることはキャリアであり、プライドであり、もしものときにいつでも戻れる保険だったのかもしれません。ペトロたちは伝道命令という主の御言葉に従うのでなく、ガリラヤに戻り漁師に戻っていたのです。それは主の召しに背くことだったのではないでしょうか。
しかしうまくいきませんでした。何もとれなかったのです。最後に残された砦も失った。ところが、伝道命令の御言葉に従わず、漁がうまくいかず失意の中にある弟子たちのもとに、イエスさまの方から来てくださり、御言葉を語りかけ、食卓へと招いてくださったのです。
「イエスは、『さあ、来て、朝の食事をしなさい』と言われた。弟子たちはだれも、『あなたはどなたですか』と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。」(12節)
イエスさまは弟子たちが気づくより前に、ずっと弟子たちのそばにおられたのではないでしょうか。御言葉に従わない弟子たちを追って、迎えに来てくださったと言えないでしょうか。この食卓は愛と赦しの恵みそのものでした。弟子たちはそこでご復活のイエスさまとお会いしたのでした。
ご復活の主は今も礼拝においてわたしたちに出会い、説教により御言葉を与え、聖餐の食卓にあずからせてくださっているのです。アーメン
(2025年4月20日説教より)