「見よ、イエス・キリストを(降誕④)」
更新日:2026.1.13
ルカによる福音書第2章21-40節
小林克哉牧師
シメオンは赤子のイエス・キリストを腕に抱き神をたたえて言いました。「わたしはこの目であなたの救いを見たからです。」(30節)2026年の最初の主の日、この御言葉をもってシメオンと共に神をたたえ、この一年のわたしたちの告白としたいと思います。
清めの期間が過ぎ、ヨセフとマリアは赤子のイエスさまを主に献げるためにエルサレム神殿に行きました。神殿にはたくさんの人たちが集まっていましたが、赤子のイエスさまを見て神の救いだと気づいたのはシメオンとアンナだけでした。他の人はイエスさまが目の前を通り過ぎても気づかなかったのです。目の前に救いがあっても見ようとも認めようとしないところ、他のものにより慰められ救われようとするところにわたしたちの罪があるのです。
この日、シメオンは聖霊により赤子のイエスさまのもとへと導かれた、「救いを見た」と告白しました。説教もせず奇跡も行わない赤子のイエスさまを見てです。神殿で献げられる赤子、そう十字架のイエスさまを見てと言ってよいのでしょう。十字架でご自身を犠牲として献げ、すべての人の罪を赦し贖うお方です。神に背いたイスラエルを慰め、神を知らずに生きていた異邦人を招き救う方です。シメオンは「イエス・キリストを見よ!」と言うのです。
この年、何があるか分かりませんが、どのようなときにも、ただイエス・キリストを、十字架のキリストを見たらよいのです。わたしたちは罪も重荷も、昨日も今日も明日も、死の瞬間も、死を超えた先のことも、すべてをこのお方にゆだねることができるのです。このお方によりわたしたちははじめて本当の平安を与えられることができるのです。
この年、地上の旅路を終えて去ることになったとしてもそれは神の平安の中にあることです。またイエス・キリストがおられるから、昨日までの生き方からも去ることができ、新しくしていただくことができるのです。教会も新しくさせていただけるのです。だからシメオンと共に神をほめたたえ告白したいと思います。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。」(29節)アーメン
(2026年1月4日礼拝説教より)
