札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「小さな者の一人のために(マタイ73)」

更新日:2025.11.19

マタイによる福音書 第18章6‐14節

小林 克哉 牧師

イエスさまは言われます。「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。」(6節)ここで「つまずかせる」とは、その人をキリストから、信仰から離れさせ、礼拝から、教会から遠ざけることです。イエスさまがこれほど過激な言い方をなさるのは、イエスさまを信じる者たちが、イエスさまにとってどれほど大切であるかを強調しておられるからです。
イエスさまは続けて言われます。「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。」(10節)ここで「軽んじない」とは、キリストのもとから迷い出、信仰から離れてしまった人を捜し出そうとすることです。わたしは礼拝に来られなくなる方がいると「どうしたのだろう?」と心配になります。「あの人、礼拝に来なくなったけど、まあそれはどうでもいいことか」と思うなら、その人を軽んじていることになるでしょう。そもそも来なくなったことにも気づかないとしたらです。「軽んじない」とは捜し出そうとすることです。
イエスさまは軽んじられません。わたしたちは皆、まことの羊飼いであられるイエス・キリストに捜し出してもらい、神の御もとに連れ戻してもらった小さな者の一人ではなかったでしょうか。この小さな者の一人を救うため、イエスさまは十字架で死んでくださったのです。その罪を赦すため、身代わりにその罪を背負い、神の裁きを十字架で受け死んでくださったのです。イエスさまは小さな者の一人が捜し出され、神のもとに連れ帰られるなら、誰よりも喜んでくださるお方なのです。
わたしたちは皆、まことの羊飼いであられるイエス・キリストに捜し出され、十字架により罪赦され、神の御もとに帰り、喜んでもらっている者たちです。「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」(14節)わたしたちは、神のこの御心を知る者とされたのです。だから、小さな者の一人を捜し出すイエスさまに従い、互いに訪ね合い、まだキリストを知らない方々に福音を宣べ伝え続けるのです。アーメン

(2025年11月9日礼拝説教より)

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