札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「あなたがたが与えなさい(マタイ61)」

更新日:2025.7.28

マタイによる福音書 第14章13‐21章

小林 克哉 牧師

イエスさまは弟子たちに言われました。「あなたがたが与えなさい。」その言葉に困惑していた弟子たちでしたが、イエスさまが祝福されたパンを分けられ、人々に配り与えました。そして人々が神の恵みにより満たされるのを目の当たりにしたのでした。「五千人の給食」と呼ばれる奇跡です。
初め弟子たちは「ここにはパン五つと魚二匹しかありません」(17節)と言いました。五千人以上の人々を前に五つのパンと干し魚二匹、いったい何ができるでしょう。わたしたちも「しかありません」と感じることがあるでしょう。神さまのため、このわたし、このわたしたちにできることがあるだろうか。伝道のため、愛の業のため、隣人に何ができるだろうか。自分に与えられている賜物を考えると、これしか持っていない、これしかできないと思うことがあるのではないでしょうか。
弟子たちがしたのは、イエスさまが祝福されたパンを配ることでした。自分で何かを作り出し特別なことをしたのでも、しなければならいのでもない。自分で自分を救うこともできないのに、どうして誰かを救うことができるでしょう。ただイエスさまが与えてくださる恵みを手渡すのです。
イエスさまは深き憐れみをもって、五千人以上の人、その一人一人に神の恵みを与えようと願われました。イエスさまおひとりで、一人一人に直接手渡すことはできません。イエスさまはそのために弟子たちを用いられたのです。弟子たちは、イエスさまから与えられた恵みを、次の人へと手渡していっただけです。「そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。」(19-20節)
わたしたちがこれしかないと思っていても、イエスさまが祝福し、用いてくださるのです。あなたを通して神の恵みが、神の愛が、神の救いが誰かに届けられるのです。そのようにして用いられる喜びを、イエスさまはわたしたちに与えてくださるのです。アーメン

(2025年7月20日礼拝説教より)

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