札幌教会・日本キリスト(基督)教団・プロテスタント教会

北海道札幌市中央区にある伝統的な教会

聖書のお話し

「どうしても手に入れたい宝(マタイ59)」

更新日:2025.7.14

マタイによる福音書 第13章44‐52節

小林 克哉 牧師

天の国、みなさんの中には何か遠い話しに思われる方もあるかと思います。この世界という畑で慌ただしく生活しているわたしたちにとって、天の国は隠されており、目に入らないし、関心の的にはならないと言えるかもしれません。
イエスさまは天の国について教えてくださいます。「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」(44節)
小作人の農夫だったのでしょうか、畑の中で宝を見つけます。当時、強盗や兵士の略奪から宝を守るため、家の中では危ないと、壺などに入れて畑に埋めておくことがあったようです。
当時は土に埋まっている宝は土地の所有者のものとなりました。そこでこの人は土地を買うことにしたのです。そのために持ち物をすっかり売り払ったのです。イエスさまは、天の国は、隠れているけれども発見するならどうしても手に入れたい宝なんだよと言われるのです。
天の国のたとえは、天の国がどうしても手に入れたい宝であることを教えています。そしてこのたとえは、天の国がどのようなところであるかも教えていると言えます。
それはイエス・キリストがあなたを宝としてくださっているところだということです。神さまは、イエス・キリストは、持ち物をすっかり売り払って、いやそれどころではない、ご自身の命をささげて、あなたを買い取り、贖い出し、救い、ご自分の宝としてくださったのです。
神の国とは、神があなたを宝、愛する子としていてくださるところです。十字架によって示された愛をもってあなたを愛していてくださる神と顔と顔とを合わせてお会いし、その愛に満たされ、永遠の愛の交わりに入れられるところです。わたしたちは教会でどうしても手に入れたい宝を見出しているのです。アーメン

(2025年7月6日礼拝説教より)

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