「御言葉よ、実を結べ(マタイ56)」
更新日:2025.6.23
マタイによる福音書 第13章1-24節
小林克哉 牧師
イエスさまは天の国(神の国)の福音を宣べ伝え、神の言葉を語り続けられました。一日何度も語られたでしょう。三年半の伝道、どれほど説教をされたでしょう。何千回も語られたに違いないでしょう。
イエスさまは御言葉の種を蒔かれる方でした。だからこそよく知っておられたのです。すべての種が芽を出し、成長し、実りをもたらすのではないことを。直接イエスさまが語られる説教を聞くのです。わたしたちなら誰もが耳を傾け、熱心に聞いたに違いないと思うでしょう。しかし聞こうとしない人、受け入れようとしない人、変わらない人、去って行く人があったのです。
コスパやタイパに関心が向けられる時代に生きています。いかに効率よく成果をあげるかこそが重要であるという点からするならば、イエスさまがなさった伝道、御言葉の種蒔きは意味のないものと評価されるかもしれません。しかしです。イエスさまは、それでも実を結ぶ種があると言われるのです。「ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。」(8節)一粒の種を蒔き十倍になれば豊作だった時代、イエスさまは、一粒の種が実ることは、百倍、六十倍、三十倍の出来事であると言われたのです。
ご復活の主は今も生きておられ、ご自身の御体である教会を通して御言葉の種を蒔き続けておられます。この日本における伝道は、コスパやタイパで考えたら、どうなるのでしょうか。神はこの国に住む人々を愛しておられます。神はお救いになられたいのです。神の御もとから離れてしまい、神に造られ生かされていることを悟らず、神に愛されている自分を見失っているわたしたちを、天の国、神の愛と恵みのご支配へと招いておられるのです。
イエスさまは諦めることなく、今も語り続けてくださいます。必ず良い土地に落ち、芽を出し成長し実りとなる種がある。それは百倍の喜びの実りであると言われるのです。そこにイエスさまが示してくださる希望があるのです。アーメン
(2025年6月15日礼拝説教より)